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はじめに
どうも。その考え方良くないよ。お米です。
刻一刻と迫る東京オリパラ。
開催に否定的、または中止を叫ぶ国民をよそに、開催に向けて着々とボロが出まくっています。
あまりにもずさんな状況が報道されまくっている状況に、この国が壊れていることを痛感します。
1年延期してきたのに、なぜこんなにも穴だらけの対応ばかりなのかと疑問に思いますが、答えは単アレでしょうね。
そんな中、ある五輪出場予定選手の発言が気になりました。
これについて書きます。
体操の内村航平選手の言葉

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この記事の中で内村航平選手のコメントに目が留まりました。
「選手が何を言おうと世界は変わらない。選手はそれぞれができることをやって、日本に勇気と感動を届けることしかできない。」
私には、諦めなのかな、と感じます。
「自分が言ったって何も変わらない」と思うから、意味がないと思いながら言われたことを黙々とやる。ブラック企業の社員の考え方のようです。
「自分が言ったって何も変わらない」と思うから、自分で考えるのを辞め、新しいことを思いつかなくなる。
「自分が行ったって何も変わらない」と思うから、選挙に行かない。
「変わらない」というよりは、「変える」ことを諦めている。
内村航平選手に限らず、多くの日本人の考え方なんだろうと思います。
なぜ人は変えようとしないのか

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では、なぜ人は変えようとしないんでしょうか。
私が考えるに、変えたことがない、または挫折した経験がある、つまり、変えたという成功体験がない、または少ないのかもしれません。
「変える」には、自分で動き出さなければならず、「変わらない」場合もあります。
失敗や挫折は必ずあります。
トライ&エラーを繰り返すことで、成功体験を得る。
スポーツやっている人は、まさにそれの繰り返しで上達していくわけです。
(ただ、これを仕組みとして理解して他の部分にも適用できるかどうかは思考力によるかもしれません)
このトライ&エラーを阻む存在がいるかどうかは、人の成長において結構重要な部分です。
この存在を乗り越え自分を確立することを、映画や小説等では「通過儀礼」と言い、父親が象徴として描かれることが多い為、「父親殺し」と言ったりします。
この「通過儀礼」を経ることが出来たかどうかは、「自分で道を切り開き成長することが出来たかどうか」に繋がり、これを経ていない、または経たけど、その後上司等自分より上の存在によって自分を抑圧することに慣れてしまった人は、「自己肯定感」が下がり、意見を言うことを諦めてしまいます。
この構造を理解しておくと、「黙ることの弊害」に気付くことが出来ますが、内村航平さんはこれに気付くことが出来ていないのかもしれません。
「黙ることの弊害」に気付いている人

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スポーツ界にも「黙ることの弊害」に気付いている人はたくさんいますが、例を挙げるとすれば、テニスの大坂なおみさんでしょうか。
昔は「長谷川穂積と同じ時代に産まれてよかった」なんて言っていた私ですが、最近は「大坂なおみと同じ時代を生きている」ことに感謝しています。
私が大坂なおみさんを語るのは荷が重いので、ラッパーのダースレイダーさんが書いた文章をあげておきます。
内村航平さんが大坂なおみさんと同じ考え方をしたら、「選手が何を言おうと世界は変わらない。」という発想はしなかったと思います。
まとめ
自分が関わる大きなスポーツイベントだからこそ、疑問や不安や改善してほしい部分について声をあげることは大切なんです。当事者が語れば改善される可能性だってあります。
しかも内村航平さんは名の通った選手。名が通っていればいるほど、影響力は大きいはずです。
今回の発言を見て、発言を諦めたことで変える機会を失う、そしてそれが他の人を苦しめることになるかもしれない、なら自分が動こう、という考え方を私はしていこうと思いました。
難しいかもしれませんが、意識するのは大切です。

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ということで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
では。
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