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【菅義偉首相】結果を出せていないのに続投は普通ありえ?話

なんとなく時事話
Photo by Giulia May on Unsplash

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はじめに

どうも。お米です。

最近何かとミスが多い菅義偉内閣総理大臣。

会見を開けば声が小さい、途切れ途切れで聞き取りづらい、内容はないと、とにかく酷いものです。

そして先日の8月6日広島平和記念式典での読み飛ばし、8月9日長崎原爆犠牲者平和祈念式典での遅刻、そして15日全国戦没者追悼式での式辞は前首相と全く同じ文章をただ読むだけ。

誰がどう考えても、頼りないなぁ、と思うのではないでしょうか。

そんな中、首相についての世論調査結果の記事を見ました。

今日はそれについて書きます。

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続投望まない65%

Photo by Jon Tyson on Unsplash

菅首相の続投を望まない人(65.1%)が望む人(27.5%)を大幅に上回っています。

私はこれを見て「あ、まだ望んでいる人いるんだ?」というのが率直な感想です。

割合が出ていないのでわかりませんが、望む人の中には「頼りはないが他に思いつく人がいない」という消極的支持者や、「頼りないことはわかりつつ、このまま続けてより日本が悪くなることによって、傷つき、助け合うことで、本当に必要なものが何か気づき国民の目を覚まさせる」という、いわゆる加速主義者が含まれていると思います。

私は菅首相が続けることを望んではいませんが、加速主義者の考えもわからなくはないです。

加速主義とは

ここでは私が思う「(この場合の)加速主義」について書きます。

主に宮台真司さんから聴いたこと読んだことがベースになっています。

菅首相にこのまま首相でいて欲しい、という場合の加速主義とは、

菅首相にどんどん日本をダメにしてもらい、それによって社会システムのおかしさ、権力の腐敗に気づき、そのダメな日本、成り下がった日本を前にした国民がこの社会の悲劇を共有することによって、システムに依存しすぎることなく、自らの足で立てるようになることを促すきっかけ

といったところでしょうか。

本当なら、76年前に日本人は戦争に負けたことによって、権力は必ず腐敗することを身を持って体験し、その悲劇を共有し、国民一人一人が自覚を持ち、権力と向き合い、真に独立した国になる、というのが理想でした。ドイツのように。

ただ、そうはなりませんでした。

今回のCOVID-19との戦いで露呈した権力者の無能ぶりが、先の戦争での反省が活かされていない何よりの証拠。

このCOVID-19との戦いは、どんな人にも平等に降りかかっている災難であり、まさに悲劇。

加速主義による真の自立にはもってこいのチャンス、とも言えます。

ただ、この加速主義には、どうしても「悲劇」が必要になります。

悲劇無しに自身の過ちと向き合うことを促すことが出来ないとも言えるんですが、この悲劇によってどれだけの人の生活が、そして命が脅かされるのか。そしてその悲劇によって、本当に過ちに気づくことができるのか。

加速主義のここを私は憂慮します。

まとめ

確かに生ぬるい悲劇では意味がない、とも言えます。

しっかりと底に落ちなければいけない、とも言えます。

なるべく被害少なくみんなで気づきたいものです。

ということで、加速主義的には続投!普通に考えれば退陣!が私の結論です。

ということで。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

では。

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